魔法の勉強ノート

魔法の研究・実践を記録している勉強ノートです。おもに植物とことばを使った魔法を研究しています。

時間を扱う魔法

やりたいことは沢山あるのに、どれも思うほどは進まない毎日。なんとかならないかと思い、和歌姫に尋ねてみました。

 

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ま「越木岩神社の磐座にまつわり、立て続けに起きているこの面白い出来事や発見含め、色々シェアしたい気持ちはあるものの、時間も限られ、文章として記すことも遅々として全然進まない感じをなんとかしたいのですが。。。」


和「以前も言ったとおり、焦ってはいけません。焦ると本来のみちからはずれてしまう。」

ま「それはそうだとは思うのだけど、、、とはいえ、現実的に何かできないものでしょうか。。。?」

と、しつこく言ってみたら、
「うーん」
とちょっと困っていました。

ま「しつこくてすみません。」

和「大丈夫、あなたが思うことは、他の多くの人も質問したいようなこと。あなたは代表して、質問しているのでしょう。
そうねぇ。答えになるか分からないけれど、、、時というものの認識、扱いかたをあなたたちはまだ充分に理解していないのです。
科学者であるアインシュタインも示したように、時というのは、この現代の地球において相対的なものです。
大人と子ども、ゾウとネズミでは、体感する時間に差があることは耳にしたことがあるでしょう。」

本はまだ読んでいなかったけれど、その話しはあちこちで聞いていた。
そして、ホツマツタヱでは、アマテラスの身長は3mほどあったと書かれていたことを思い出していた。その他、エジプトの神官と言われていた人たちや、古代の人たちも同じように身長は3mほどはあったと言われている。

和「身体が大きくなれば、時間もゆったりと感じられ、せかせかすることがなくなるのです。」

ま「でも、、、わたしはこれ以上、大きくなるのは難しそうです。」

和「身体を、肉体ととらえなければいいのです。本当は、個というのは、肉体よりももっと大きなエネルギー体として存在しています。アストラル体とか、聞いたことあるでしょう。または、「器の大きな人」という表現も、同じようなことを指しています。」

ま「つまり、精神的な大きさも大きさと考えていいということですね?だとしたら、どうやって、そのように精神的に大きくなれるのでしょう?」

和「愛をもってみつめることです。まなざしの大切さを人生の端々であなたは充分に感じている。
自分と波長が合う人はもちろん、自分とは異なる種、異なる考えの者に対しても、慈しみ、敬意をこめたまなざしを向けること、それによって、あなたはある意味、その者のエネルギーをとりこむことになる。自他の別のない大きな一体のエネルギーとして存在することになる。」

ま「なるほど、家族のことを自分のことのように感じるみたいに、自分以外の他者と分かりあえた分だけ、「自分」の定義の範囲が広くなり、「自分」自体も大きくなるということですね。」

和「そのとおり。」

と、そんな対話をいたしました。


このあと、ゾウの時間とネズミの時間というのを調べてみると、ゾウは身体が大きいので環境耐性もあり、ゆったりとした時間を生き、寿命も100年ほど。ネズミは、小さくチャカチャカ動きまわって、3〜4年で死んでしまう。けれど、そうやって個体としては死ぬことで、新しい環境に適応できるように生まれ変わり進化していける。
動物では、時間が体重の1/4乗に比例する。体長の3/4乗に比例すると言 ってもいい。
寿命を心臓の鼓動時間で割ってみると、哺乳類ではどの動物でも、一生の間 に心臓は20億回打つという計算になる。ただ、霊長類だけは例外らしい。(人間は、生物的な観点からみると異様に長い寿命で生きることができるようになっている。)

その「例外」のなかで、古代の人は、時間の概念をもっと自由に操ることができていたのかもしれません。
瞑想などでゆっくりと呼吸する、というのも、このことと関係しているかもしれません。


 


 

紅葉川

2句、できました。
若い女性の美しさに恋をし近づいてくる男性に対し、女性が一句。
その返答に男性がまた一句。
秋の男女の会話でございます。

◎ 女性
「若し身も 流るめるかな 紅葉川」
(わかしみも なかるめるかな もみしかわ)


意訳:秋になれば紅葉が川を流れゆくように、あなたが恋をしている私の若さも、時と共に流れてゆくのですよ。

 

◎男性
「分かち身も 仲睦むかな 紅葉川」 
(わかちみも なかむつむかな もみちかわ)  


意訳:バラバラに分かれていた紅葉も、川に流れる頃には、仲良く睦まじく重なり流れていくことができるではないですか。わたしは、その美しさを共に生きたいのですよ。

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なんてね。ロマンチック。
※かなりの意訳です。
※文法的にあっているか定かではございません。。
※どちらも回文になっています。(反対からよんでみてね。)
紅葉をもみ「じ」とするか、もみ「ぢ」とするか、考えていて、2つ作っちゃいました。

越木岩物語3 沈む夕陽とニテコ池 

※このお話は、大変現実と相似したファンタジーであり、フィクションです。

前回のつづきより。

それまで、神社の参拝者は私だけだったのが、そこで、3人の人が社務所の方に向かってやってきました。
本当は、マンション建設のことを聞きたかったのだけど、さすがに突然言い出しにくく、あとでゆっくり聞こうかなと思って、私は横方によけて、願い事を書いていました。
 
すると、3人のうちのひとりのおばさまが巫女さんに向かって言います。


「あのマンション建設で岩が壊されるっていうことですけど・・・・」


・・・!

わたしも「それ、私も聞きたかったんです」と、早速、話に入ります。

いまのところ、このサイトで公開されている以上の進展はなさそうで、西宮市も建設を許可しており、すぐにでも着工にかかれる状態とのこと。
ただ、下請けの建設会社さんが倒産されたり病気になったりみたいなことがあったみたいで、一応まだ建設自体は開始されていない様子とのこと。

質問したおばさまは、近くに住んでいるらしく、
「そんなんねぇー、、絶対壊さないほうがいいと思うけどねぇー、、」とお話されてました。

この日、神社で見かけた参拝者は、このお三方と、帰りに子連れのお母さん2人組くらいだったので、ひっそりとした神社なのかと思っていたら、お正月は長蛇の列ができる大人気の神社のようでした。

「その土地を買い戻すことはできないんですか?」
と聞いてみると、
「額が億単位でとても手がとどかないようです。」
「でも、売った時のお金もあるんですよね?それはどこいったんですかね。。。?」
「そうですねー、おそらくその頃とまた額が変わってると思いますし、その辺になってくると私どもでは把握しておらず。。」
ということでした。おそらく社殿の改修費などに使われたのかと思いますが、その辺りは宮司さんに聞いてみないことには分かりません。

と、おばさまが、
「そういえば、あそこのニテコ池ってあるでしょう?あの名前の由来ご存知ですか?」
と巫女さんに話しかけます。
「いえ、わからないです。」
というと、ちょっと調べてみます。と、奥のほうに行ってしまったので、おばさまは私に向かって話しかけます。
「あそこはね、恵比寿様を祀られている神社の壁をつくるときに、その池の土を使ったらしいのだけど、それがポロポロすぐ落ちるものだから、もっと練ってこい、練ってこい(ネッテコイ)=ニテコイってことであの名前になったそうですよ。」
戻ってきた巫女さんも「そうですね、そう書いてあります。あと、ニテコは「森林の水たまり」という意味もあるようですね。グーグルで調べただけですが・・・。」
と、そんな会話をし、おばさまたちは去って行かれました。

・・・え?なんですか。。。?
前回の温泉でのおばさま同様、この流れはなんだかちょっと不自然です。

なんで突然ここでこの話を持ち出すのか。。。

「練ってこい。」

とりあえず、今日はもういいから、もっと作戦を練ってこい。ってこと。。。?
でも、早く来てというから来たら、もうOKと言われ、今度は作戦を練ってこい、って、それはないでしょう。。。その可能性は考えたくないと思い、

「ニテコ池の方をたずねろ」

ということかな、、、と思いつつ、グーグルで調べてみますと、ニテコ池はちょっと離れており、歩いていくのは難しそうです。
Joshも今度行きたいと言っていたから、また今度行ってみようと思い、神社をあとにしました。

ひとまず、署名はまだ受けつけているということだったので、署名はして帰りました。
みなさんも、よろしければ、どうぞこちらから。


嘆願書の内容は、
「私どもはマンションの建設に反対するものではありません。あの磐座を残せる設計にしてほしい」ということです。と、書かれていますが、それさえ受け取り拒否されているのは、ただならぬ理由があるのでしょうか。。


東回りに神社の外をまわっていくと、学校跡地であるマンション建設予定地が見えました。
柵があり、どこからも入れないようになっています。

 

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※壊される予定となっている北の磐座

 

これを見るだけで、何もできない私。。。
せめて・・・と、途中で拾った葉っぱをさしてきました。

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行きも帰りもインスピレーションが浮かんでいた「5」つに分かれていて、魔除けの力のある朱い葉っぱ。

その後、せっかくだし、レイラインと言われている、神社の上の公園内にある3つの磐座もみにいってみようと思い、公園に入りました。


「これを『公園』と表記しないでほしい・・・」と、あとで思ったほど、そこは森のようでした。

西の方に「休憩所」「植物園」があるはずで、そこをめざしていたのだけど、一向に見えてこず、木々が茂る山道を息切れしながら、登り続けます。

 

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※こんな感じに、草をかき分けながら、ひたすら登る山道・・・。


30分ほど登山したところで、ようやく建物がみえ、ここかな。。。?と思ったら、展望台でした。。
展望なんか望んでないー!と思いつつ、かなり汗ばんできていたので、休憩することにしました。
時間は4時。昼の日差しは穏やかになり、夕焼けと共に暮れていく街の景色が綺麗でした。

 

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「この、夕焼けの美しさを愛でる感覚を思い出させること」

そんなメッセージが浮かびます。
そして、ジョアンナ・メイシーの「夕焼けも美しい」という言葉を思い出します。

「ある韓国の僧侶が言った「日の出だけでなく、夕焼けも美しい」と。もし人類が絶滅するとしても、 ショックや恐怖に陥らないように、高貴に、寛大さと美しさを持って死にゆくことができる。」

キラキラと光りをあててくれていた太陽が沈んでいく。
青々としていた木の葉が散っていく。
真っ暗な夜、冷たい冬が来ることを知りながら、その流れに抗わず、沈んでいくこと、落ちていくことを美しく受け入れること、それは日本人であるならば、こころの内に知り得ている感覚。

文明の転換期、滅びていくもの、失われるものは、当然あるだろう。一時の栄華をいつまでも持ち続けたいと思うことこそ執着。されど、落ちていくことが分かる感覚というのは、なかなか受け入れがたいものである。
突然、病気で余命数ヶ月の宣告を受けるような、そんな感覚。
そこでいかに美しく散っていくか、それはもう、その和と美のこころを持つしかないのだ。


結局、1時間の森林ウォークの末、この公園内にも3つあると言われていた磐座をひとつも見れないまま、あっけなく、道路の歩道にでてきて、そこからバスで有馬温泉へ。

と、思ったら、スマホで有馬温泉を調べているうちに、予定時刻に来たバスに乗ったら間違ってたみたいで、、、次のバスは1時間後。帰ろうかなとも思ったけど、汗が冷えてきて、風邪ひきそうだったし、せっかく教えてもらったのだからと、タクシーでいきました。(で、三千円弱かかってしまった・・・。)

全然スケールは違うけど、ツ(尽きる、西)、アキ(空き、飽き)とは、おそらく、こういう心境のこと。
目的を持って山を登った結果何も得られずに、さらに、ちょっとした注意のなさから、本来は差し出す必要のなかったものを差し出すことになり、なんだか、からっぽでこころもとないこの心境。

たとえば、問題のマンション業者さんだって、何億の土地を購入できるようになるには、ながきに渡り大変な仕事をしてきたはずで、一生懸命働いて、その先に得た土地に結局、何も建てられず、足止めをくらっているというのは、それはそれで痛手なはず。抗議する側は損害を受けることはないのだから、
「磐座を壊さないで欲しい」と言ってくる人を敵対する気持ちも分からないでもない。

実際は、神社の方たちの嘆願書には「マンションを建てるなとは言いません。ただ、当初の磐座を保持する設計にする、ということをまもっていただきたいだけです。」と書かれた署名を、受け取り拒否していたり、HPで自己正当化のための虚偽の文章を載せていたりもするようなので、よっぽど暗い闇をお抱えとお見受けしますが、、、最近は、そうやって、私が善悪でだれかれを分け、制裁を下すような思考をしていると、ストップがかかります。

過去に、誰かが何か過失を犯したのでは、とあら探しをしたり、これこれが悪いから裁判で白黒つけよう、とか考え出すと、そういったこと自体に暗く重いエネルギーがつきまとう。真実(ほんとう)のことは、決してそのようには進まない。と。

 

「そのとおり、わたしたちは、そのようなエネルギーの使いかたはしない。もっと、ポジティブな皆にやすい(やさしい)方法でうごかす。
だれでも、何が最善かが分かればそのように動く、という言葉を最近聞いたでしょう。本当のことが見えなければ、そのように振る舞うしかない。
声を聞けない、手を放せない彼らをかわいそうに思ってあげて。
正しさ、正義ではないところで、物事を調和させていく、それが女性性(母性、陰)のエネルギーであり、和のみち。」

そんな話をしながら、なんとか辿り着いた温泉は、天然、掛け流し、露天、のキーワードのなかで選んだ「はなのむすび」というところ。母音にすれば、「ああおううい」。わか(ああ)との(お)くくり(ううい)のあとだったので、縁を感じて。

お風呂では、公園を歩いているときよりスッといろいろなことが入ってきました。

しつこくも、「本当に今日はこれで終わりなんでしょうか。。。?」と聞くと、やはりどうやっても「これで万事OK」という感じの返答しか返って来ません。

「答えを進めたがる気持ちは分かるけれど、美しき変化はゆるやかに行われるものです。自然界をご覧なさい。これからひとつずつ、みちが開かれます。焦って答えを探すことは、すでにみちをはずすようなこと。わたしたちは、そのように、ことはおこさない。
あなたはこのゲームや謎解きのプロセスを楽しんでいるでしょう?いま、すべての答えを教えたら、ゲームの攻略本、物語の結末をあっけなく教えてしまうようなもの。それではつまらない。
わたし(たち)は、あなたが、このプロセスを楽しみながら、ものごとが進むようにしている。
ひとつ言うならば、先日やったように、このプロセスをブログで記していくこと。」

ということでした。

他にも色々なことを教えてもらいました。

どうして、温泉だとよく話が通じるようになるのか。と聞くと、

「温泉は、現代の世の中では失われている古代の大地から湧き出づる、清浄で力強い火と水のエネルギーをまとっている。そのエネルギーのなかに包まれることで、身体が清浄さに包まれチャンネルが合いやすくなる。」

と言われました。なるほど。温泉以外でも、そういう効果を起こせるものは何かありますか?

「家のなかに小さくてもいいので祭壇をつくること。知っているでしょう?
火、土、水、風を象徴する物を祀った祭壇。いまのあなたなら、この4つに空の要素も加えるでしょうね。」

それと、あの磐座の意味も聞いてみました。ら、
次なる時代に、北からくる強すぎる陽性のエネルギーが流れこむのを防いでいる。とか。

「磐座を破壊すると、5つの元素の力を守っているこの神社のエネルギーがバランスを欠いた状態になる。

すでに壊されようとしている3つの磐座のある土地の木々が失われた時点で、多くの清浄で調和をとりなすエネルギーが失われている。
あなたは、先日大地の再生講座の講義を聞いたばかりだから、分かるでしょうが、樹木は、大気中のエネルギーを地中におろすと共に、地中の水や火、土のバランスを整えてくれている。その多くが突然的に失われたならば、自然界のバランスが崩れ、それにより、自然災害はこの地球における原因と結果の法則から、おこるべくしておこる。
今日、展望台からみたように、この一体は海辺に街が栄えているが、その多くが浸水するようなこともあり得る。」

 

・・・・・・。

わたしは、あまり終焉論や地球の危機を煽るようなことは好きではありません。そういう想像をすると、そうなる可能性に力を与えることになるように思えるから、というのと、恐れによって人を動かすというのは、ネガティブに感じるからです。でも、この存在は、煽るわけではなく、ただ、起こる現象の話をしているように思われました。

「あまり、そういう話は好きじゃないのですが・・・そういったことが起きないようにするにはどうすればいいのですか?」

「それは、あなたが先日感じたのと同じです。破壊的で支配的な思考を保持する人々の意識が変わらなければ、それに沿った現実が導かれる。意識に変化が起こると、現実にも変化が起こる。それだけなのです。目に見えないもの、聞こえないけれども存在するもの、こと、を軽んじず、直感を大切にしていたならば、地球の変動により現在の人間から見て、災害と思える現象が起きる時も、その人たちは、何かを予感し、その前に移動を始める。


「それは、分かりますが、、、現代では仕事の責任などで直感のままに行動できない人は多くいるはずです。そうして災害に合う人たちのなかには、幼い子どもたちも含まれるととてもつらい気持ちになります。」

「この地球に生きる者として当然の感情だと思いますが、その域を越えた視点を持たなければ、これらの仕事は果たせません。この3次元の世界観にとどまっていると、それは悲しい世界にうつるでしょう。けれども、死は、魂レベルで考えれば、そんなに悲しみ嘆くものではないのです。死によって、その魂は、新しく生まれ変わることができる機会を与えられるのです。人の生命とは決して失われてしまうものではありません。」

自然農、川口由一さんの言葉を思い出します。川口さんは、漢方にも精通してらっしゃって、診断をするとき、「かわいそう」とか思ってしまうと、絶対にダメだと言っていました。そういった私的な感情が入ると、症状を見極めれなくなる、善悪のある相対の世界ではなく、絶対の世界から物事を見なければならない。と。

わたしは、個人的に、そういう絶対の視点から世界を見られるようになる経験を、あるワークを通して何度かしていて、でも、それというのは、この現実界で長く保持するのがなかなか難しい感覚でもあります。
すべてのものごとは、完全に運ばれていて、どんな悲しく思えることも、醜いことさえも、愛の違った表現でしかない、一片の狂いもなく全てが完璧におこっていて、美しく、なんとありがたい世界なんだ。。。というあの感覚から、たいてい3日もすれば、「もー、なんでこうなるのー!」という感覚に戻ってしまいます。。(・・;)

あの感覚をどうやったら保つことができ、皆も見れるようになるのか。。。
いろいろと思いがめぐります。
 
ひとつ、書いておいてなんですが、この、磐座を破壊すると、西宮の街は災害の被害を被るというようなことは、深刻に受け止めず、そんな想像はしないでいただきたいと思ってます。
わたし自身それを不安に感じないほど、現実的な予言めいた感じではなかったし、どちらかというと、意識のうえで日本の人々が西欧的な意識・感覚に飲み込まれていくのを防ぐことが大切、といったニュアンスでした。
この辺りのことは、もう少し他のこととも色々結びついているので、また追々書いていこうと思いますが、簡単に言うと、たとえば、災害の時もきちんと一列に並んで物資の救援を待ったり、その言語からして個人の主張が強い西欧と違って、日本は主語なしにも成り立つ稀有な文法のことばをもつ国。そういった自他の別とつけすぎない和の心がこれから大切になっていくなか、日本に生まれ育った人々が、そのこころを保つというのが大事なことのようです。


今回の訪問は、これで終わりましたが、この後帰ってから、言われたとおり、毎日、確実に一歩ずつ、驚くべき進展がありました。

本当に、毎日進むので、全然書くペースが追いつきませんが、、、詳しくは、また次回。

 

※他にも、この磐座のことと関係あるのか、ないのか、色々と受け取ったイメージや浮かんだインスピレーションはあるのだけれど、それもまた、断片的に記していこうと思います。


 

 

 

 

 

 

 

越木岩物語2 越木岩神社をたずねました。

※このお話は、大変現実と相似したファンタジーであり、フィクションです。

先日の一件
を受けて、行ってきました。越木岩神社。


京都からは電車で約1時間半強。

神社のHPでは、「甲陽園駅」または「凪川駅」から15分とあったけど、駅員さんに聞いたら歩いて行くなら「苦楽園口駅」の方が近いよ。ということで、そちらに向かいました。

平地を抜け、グーグル先生に教えてもらうまま進み、あとは右に行けば、と角を曲がると、ものすごい坂道。

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日本でこういう光景みるのは珍しい。完全に山を切り開いてつくった住宅街のなかに残された神社ということなんだろう。

この光景に、小さい頃の記憶がよみがえる。多分自分が幼稚園児くらいのとき。お母さんに連れられて、こういう感じの新興住宅地のお母さんのお友達の家に行き、そこにいるこどもとおもちゃで遊んだこと。当時、わたしの自宅にはあまりなかった、プラスチックのたくさんのおもちゃや人形に、夢中になった私はお友達のことはあんまりおぼえていない。これが高度経済成長の恩恵に授かった豊かさだ、みたいな時代が本当にあったんだな・・・そこに自分も違う「色み」(カラー)を感じつつも、違和感は覚えなかった。という記憶。

登ってみると、運動不足の私にはなかなかしんどくて、息切れしながら行くと、すごい方向オンチの私は、途中で道を間違えていたみたいで、軌道修正すると、神社の西側の入り口に辿り着いた。

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とりあえず、入ってみてすぐ、ここが越木岩神社の社殿ではなく、本命であるその奥にある磐座(いわくら)の場所だと気づいた。
左手にはお不動さんが見える。本当は、南門から入りたかったんだけどなぁ、、、と思いつつ、お不動さんと目があった手前、何もせずに引き換えるのもなんかアレなんで、まずはここはお参りしようと手を合わせる。

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お不動さんは、石(土)のエネルギーを司ってるように感じ、並んですぐとなりにあるお社は、その地表に綺麗な水が流れていて、これは水の神様だな、と分かった。

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そして、中に進んでいくと、想像よりはるかに大きい磐座がそびえていた。
これはちゃんとお参りしたいと思い、やっぱり南門から入り直そうと、西側の出入り口から出ようとしたら、お不動さんにとめられた感じがしました。
「なにをしてる。細かいことは気にしなくてもいい。ここに会いにきたんだから、ここから参ればいい。」
そう言われた感じがして、「じゃあ・・・」と、そのまま中の方へ引き返しました。

晴天のなか坂道を登ってきた私は若干汗ばむくらい暑さを感じていたのが、この中央を過ぎて東側に足を移した辺りから、急に風が出てきてひんやりとして寒いな・・と感じました。

磐座の東側には3つお社があります。
まず、南向きに2つ並んだお稲荷さん。

 

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ここのお稲荷さんが、なかなか怖いちょっと野犬みたいな感じで、
「なんでもっと早くこなかった。たくさんやることがあるぞ。」
と、ちょっと怒られました。

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怒られたと言っても「憤怒」みたいな感じではなく大切なものに対する「情熱」をしっかり受け取るみたいな感じです。

(※これを書いていて、あらためてなるほど、と思ったのは、「怒られる」というのは、「大切なものがあることを受け取る」ということなんだな。それって実はけっこう嬉しいことなはずだよね。・・・と、余談でした。)

「すみません、そんなに緊急と思わなかったんで・・・」
と言い訳しながらお参り。
お稲荷さんの朱く燃ゆるエネルギー。ここのお稲荷さんは、火を守っておられるんだな、というのを感じました。

そして、このエリアの一番東に西向きに立っているお社を見ますと、中にまるい鏡のようなものがあります。

 

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鏡(かがみ)は、「かがやくみ」をうつすもの。神聖に輝く自分自身を確かめるためのものです。(その逆もしかり)
普通の神社では、鏡は案外奥まっていて、なかなかそこに映る自分というのは見えないので、これなら自分を映せそうかな、と背伸びして覗いてみました。
が、見えるのは、木々の風景。
「あれ・・・?」
そこで気づきました。これは、鏡ではなく、まあるい穴だったのです。

なるほど、これは風の神様です。
こんなお社はじめて見ました。

前述のこのエリアの風と寒さ。風のエネルギーがしっかり守られている証です。

ちなみに、帰ってきていま、越木岩神社のHPを見てみますと、こんなことが書いてありました。

■遥拝所(ようはいしょ)
ここから伊勢神宮・宮中三殿(皇居にある賢所(かしこどころ)、皇霊殿(こうれいでん)、神殿(しんでん)各社)を遥拝できます。

 

ここから伊勢神宮を見渡すための場所、と書かれています。
その意味もあるのかもしれないけれど、この風のエネルギーは明らかだったので、わたしは風の神様がいらっしゃるように思えてなりませんでした。

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西の2つが陰のエネルギーである、「土」と「水」をまもり、東が陽のエネルギーであり、「火」と「風」をまもっておられる。

となると、まんなかの磐座は「空」に違いありません。

____  ◇ ____

※ホツマツタヱによる天地創造のプロセス:

無の状態から、無は、まず、ア(陽)とワ(陰)を生んだ。こうして世界に陰陽が生まれた。
軽いア(陽)は、さらにヲ/ホ(火)と、ウ(空)、セ(風)と分かれ、
重いワ(陰)は、ウヒ(泥)となり、さらにハニ(土)とミツ(水)となった。

____  ◇ ____

 

この磐座は、予想以上に大きく、高さ10mくらいはあるようです。

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そのうえにそびえるように、さらに4倍くらいの大きさの、大きな女の人の姿が感じられました。
きらびやかな柄がほどこされた朱色の着物、というか、現代の着物のようにキュッと帯で縛ってない、Aラインに広がる織姫とかのイメージに近い服を着ている感じがします。とても透明で荘厳な雰囲気です。

これが、和歌姫かな。。?

お参りすると、以前に感じたような緊迫感はすでに全然なく、とても安心しているように思えました。

「お待たせしました。やって来ました。」
ご挨拶すると、にこやかに微笑んでおられます。

穏やかであることは、よいことなのだけれど、わたしは、ここに来たら何か起こるのかな。と軽く想像していました。和歌姫は、ことばの力、色々な呪文を使って、世を動かしていた人です。磐座を保全するのに、なにかしら有効な和歌とか授けられるのかな、とかね、想像しちゃうじゃないですか。
 
でも、
「今日はもうこれでOK。来てくれてありがとう」
という感じしかしません。

「あの、、、わたしけっこう色々珍しいシンクロが重なってここに来たんですけど、、、。わたしは和歌姫のエネルギーの一部を持ってるってことでしょうか?」

と聞いてみると、

「その逆ですよ。いま、あなたはわたしのエネルギーのなかに入っているのです。」

と言われました。
たしかに、このエリア一体に大きくそびえて感じられる和歌姫のなかに小さなわたしが入っているような感じです。

まるで、お釈迦様から逃げて逃げて、どうだこんなとこまできたぞ!と柱に落書きしたら、それはお釈迦様の指だった。という西遊記の1説のよう。。

「このエネルギーのなかを通ってもらうことが大切だった。」
というようなことを言われました。

チョコフォンデュのイメージが浮かびます。または、小学校とかでプールに入るまえに消毒のシャワーを抜けていく、みたいな、一度そこを通ると違うもの(消毒液)をかぶって、そのものをまとった状態になる。というイメージ。でも、消毒液というより、チョコフォンデュのイメージが近いのは、そこを通ることによって、かなり目に見えて質感のあるものをまとう、という感じがしたからです。
とにかく、このエネルギー圏内にどっぷりと入り、通過してもらうことがなによりの今回の目的であり、呼んだ理由だと。。

「ふむ、そうか・・・。」

じゃあ、まあいいか、と思いながら、反時計回りに磐座をぐるっとまわってみます。

行く前にチラっとみたサイトで北の方位を示す石があるとありました。たしかにちょっと尖った部分があります。
一度正面に戻り、ぐるっと廻るときに右側に見えた道を進んでみます。
すると、また小さな祠のような磐座のようなものが見えます。
貴船神社と書いてありました。

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ここは、わりとスッと通りました。
最後に、さらに右奥にあるのが、和歌姫の祀られている磐座と言われています。

 

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これを書きながら、調べてみますと、こんなのが出てきました。

神社のパンフレットでは、甑岩には、市杵島姫大神が祀られているとされている。また、北座には、稚日女尊宮(ワカヒルメノミコト)が祀られているという説がある。
ここで池田仁三氏の興味深い研究がある。池田仁三氏は、コンピュータ画像解析で墓碑や石碑に何が彫られているかを研究されている方である。池田氏は、この甑岩の台座に「稚日女命宮、庚子年九月廿日薨、御年四十七歳」、北座に「稚日女命」と彫られていることをつきとめている。
しかし、これには納得ができない。甑岩は、女陰をかたどっているとも考えられるので良いが、北座の磐座は明らかに男根をかたどったものであり、この北座にワカヒルメを祀るのはありえない。
では、北座には誰が祀られていたのかということになるが、ホツマツタエによるとワカヒルメの夫はオモイカネであり、一つの答えとしてオモイカネが考えられる。

さらに、この碑文は漢字で彫られており、漢字が伝わったのは紀元前後のことである。私は、この磐座はそれよりも古いものと考えているので、碑文を全面的に信用することはできない。
本当にワカヒルメの墓なのかはあやしい。
磐座は人格神の現れる前から存在していたのではないだろうか。

ミステリースポット「越木岩神社の甑岩」より

 私が感じたことで言うと、甑岩で感じた存在と、この北座で感じた存在は、同一とは言わないまでもかなり似たようなエネルギーでした。
イメージでいうと、北座の方がヒルコ:稚日女尊(わかひるめのみこと)(結婚前までの和歌姫の名)または和歌姫、甑岩の方が、成熟してからの和歌姫、または和歌姫が神上がってからの歳徳神みたいな感じ。

磐座の方が高貴で荘厳な女神、という感じで、北座の方は、もうちょっとなんていうか親しみやすく人間っぽい感じ。歳も私と同じかもっと若く、わりとフレンドリー。

いま、これを書きながら、越木岩神社のHPを見てみると、このように書かれています。

甑岩の御祭神は市寸島比売命(イチキシマヒメ)で、女性守護・安産・子授けの神さまとして祀られています。
俗に辨財天と称せられ、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」、七福神の一として御神徳の高い神さまであることから、子どもの成長や芸能の上達を祈る神さまとしても信仰を集めています。

 そう言われれば、甑岩の方が女性の神という、さまざまな女性の神の集合体みたいな感じで、北座の方が、より個性をもった和歌姫という感じもしなくもありません。この辺は、正直まだ固有名詞で特定するのが難しいです。。
ただ、先日、温泉で私を呼んだのは、北座のフレンドリーな方の存在のようです。けっこう喜怒哀楽がしっかりあって「来てくれてありがとう!」と、抱きついてくる友人のような感じです。
あらためてもう一度聞いてみます。

「呼ばれてきたつもりなのですが、本当にここに来るだけでよかったんでしょうか・・・?」

やはり、とても明るく「これで大丈夫」という感じが返ってきます。

ここで、和歌姫との絆というか縁というかをしっかりと結ぶことが大事だったとか。
これさえあれば、後は、ずっと繋がりが保てるし、起こることは徐々に起こっていく。と。

この神社一体は、もともと山・森であったことが分かるような樹木がたくさん残っている場所です。厳かな雰囲気さえ漂う山のエネルギーをヒシヒシと感じます。帰って、越木岩神社のHPを見ると、天然記念物の社叢林となっているようです。

”社叢林(しゃそうりん)とは神社にある森のことです。六甲山麓唯一の霊地で参道を進めば昼なお暗い森で、学術的にも聖地にしか生息しない樹木(特にヒメユズリハ)が数多く境内は森林浴散策の絶好のポイントです”

ところが、この一番奥の磐座があるところの手前から、ちょっと東を見ると、急に一面灰色の更地となった風景が広がります。

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これが、マンション開発予定地となっている場所のようです。おそらく、この場所も立派な樹木に囲まれた森だったと思われます。このマンション問題の前に、学校が建てられていたので、このような状態になったのは、いまではないとしても、その樹木や草花がすべて失われ、この更地になってしまっていることはとても哀しく残念なことです。
破壊されようとしている磐座も見えました。

 

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そちらには向かえないように、鉄線がはられていたようですが、鉄線はすでに壊れていて、さらに、近くの木が台風か何かで倒れて、滑り台のように、マンション予定地につながっています。行こうと思えばいけそうです。でも、さすがにやめときました。

その後、参道を通って、本殿の方をお参りしました。

 

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こちらは、おそらく、その奥の甑岩をのぞむ場所なのだと思っていたのだけど、何かその甑岩の女神をまもろうとする男性の家臣みたいなエネルギーを感じました。

神社の説明では、蛭子(えびす)さまを祀られているとのことです。

”それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(ひるこおおかみ)を勧請し、蛭子太神宮と称しました。”

 
和歌姫の幼名ヒルコは蛭児、蛭子とも書きます。日本の古代史を探ろうとすると、あらゆる言葉をひらがなに直すことが基本です。ひらがなで考えることで、見えてくることがたくさんあります。

おそらく、もともとはその奥にある磐座のヒルコ(和歌姫)をお祀りするための社で、でも、ヒルコは日本書紀・古事記が書かれたときにすでに存在を消された人物。支配的な政治をする何者かが、漢字が入ってきたときに蛭子(えびす)と変えられたりしたのではないかと想像できます。

私の想像では、元々は南座の大きな磐座を崇めるためのお社がこちら。で、この蛭子さまというのは、3歳からの幼少期の和歌姫を育てたカナサキにイメージが近いのです。
帰ってから、この本(和歌など何も知らないアマノコトネさんという方がワカヒメとのチャネリングで和歌をおろし、それを和歌が分かる方やホツマに精通している方が読み解いて、物語にしてあるもの)を読んで、



ますます、そんな風に思いました。カナサキは、貝や魚をとりに船で出かけることも多く、鼻が赤く、ほんのり磯の香りがしていた、そして、小さなヒルコ(和歌姫)を、変な顔をして笑わせたりするのです。(秀逸なる和歌の才能をお持ちで、期待をかけ、このクニの未来がかかっているワカヒメをまかされた方でもあります)真偽は分かりませんが、蛭子様として知られている、あの船に乗ったお方は、このカナサキのイメージにぴったりです。

さて、お参りして社務所を見てみると、若い女性2人と若い男性が1人、仲良くお仕事されているようでした。

絵馬のように願いを書いてむすぶものと、持ち帰るようの5色の紐がありました。
甑岩の目の前に、もうひとつお社があったのですが、それが、六甲山社でそれが縁結びの神、「菊理媛神(くくりひめのかみ)」がお祀りされているとのこと。
和歌姫との縁をむすびにきたのだから、これはぴったりです。

 

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五芒星に、それぞれ色がついている。これは、おそらくホツマツタヱにでてくる5大元素のことでは。。。
お願いを記します。わたしから出てきたのは、この言葉。


「ワカヒメと縁をむすび、共に、ことをあらわす おしごとができます。」
(お願いごとは、未然系ではなく完了系で書くようにしてるので、語尾の「ように」は書きませんでした。)

「ことをあらわす」

いつのまにか最近よく出てくるようになったこの表現。色々意味を感じます。

それまで、神社の参拝者は私だけだったのが、そこで、3人の人が社務所の方に向かってやってきました。
本当は、マンション建設のことを聞きたかったのだけど、さすがに突然言い出しにくく、あとでゆっくり聞こうかなと思って、私は横方によけて、願い事を書いていました。

すると、3人のうちのひとりのおばさまが巫女さんに向かって言います。

「あのマンション建設で岩が壊されるっていうことですけど・・・・」

・・・!

わたしも「それ、私も聞きたかったんです」と、早速、話に入ります。

※長くなったので、ここで一度区切り、次回へ。

越木岩物語1 越木岩神社の磐座へ

※このお話は、大変現実と相似したファンタジーであり、フィクションです。

すごい・・・こんなことってあるんだ。。
先日、joshとMTGしたあとにjoshの提案で、急遽温泉に行こうってことになって行ったのです。joshは時間ないから30分だけ入るけど、ゆっくりしてきたら。ってことで、温泉でゆっくりし、ちょっと存在とのおはなしをはじめてみました。
すると、サーシャではなく、

「裕子(ヒロコ)」という名前とその母性的なイメージが浮かびました。
「裕子(ヒロコ)」は私の母親の名前なので、なんでだろう、と思ったのだけど、そ話していくうちに、どうも和歌姫さまである感じがしてました。
和歌姫さまの別名が「ヒルコ」であることには、1週間経ったいま気づきました。。

彼女は、半分泣きそうな、切迫したような勢い、必死な感じで語りかけてきます。内容は、
「ことばの力を復活させてほしい(授けたい)」
「どうか私の元を訪れて」
というような感じです。

私が普段よく話しているサーシャやミコラスは、いつも大変穏やかで、こういった緊急な雰囲気を醸し出すことはありません。
なので、ちょっと不思議な感じがしていました。

でも、ことばあそびユニットを一緒にやっているjoshと、年内にはぜひ行きたいね、と話していた場所だったので、これは、近々行ってみよう、と思っていたら、急に温泉に入っている隣のおばちゃんに話しかけられました。
「今日はお湯がぬるいですねぇ〜。」
その日は、どうしたことかいつもは41度前後の温泉が39度くらいで、確かにぬるくて、まぁ、だからいつまでも入って話しができていたわけですが、私もそれは感じていたので、
「ですね〜。」
と話し始めました。
この温泉は何度も来てるけど、話しかけられたのははじめてです。鹿児島ではおばちゃんは誰かれかまわず話しかけるものですが、京都ではそんなことはありません。
聞いてみると60歳すぎの京都生まれ京都育ちのおばさま。いつも自転車であちこち行っているとのこと。自慢の娘さんや息子さん夫婦がいるようで、息子さん夫婦が連れて行ってくれた兵庫の有馬温泉が素晴しかった。ぜひ行ってみて。と。
そういえば、和歌姫さまの祀られている神社は兵庫だとjoshが言っていたはずで、もしかして近くかなぁ〜、とか思いつつ、まぁ、兵庫は広いことだし、と思いながら聞いていました。
私は普段、固有名詞を覚えるのが大変苦手で聞いてもすぐ忘れるのだけど、joshが大好きな競馬の有馬記念に似てるな、と思って、これはあとでjoshに知らせよう、と思ったのもあって、温泉の名前、珍しく1週間後の今日でも覚えていました。


で、ですよ。
今日、あらためて調べてみたら、和歌姫さまが祀られているという越木岩神社は西宮市。
おばさまが教えてくれた有馬温泉を地図でみてみると、近くには西宮ゴルフ場とかがあり、、、グーグルマップによると、車で17分の距離。
 
しかも、、、越木岩神社には、古来から霊験あらたかとされる磐座が3つあり、なんと、その全てがマンションの建設に伴い破壊されようとしている、と・・・。

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※写真は下記より拝借いたしました。

http://iwakura.main.jp/news/20150419_news/newst_20150419.html

和歌姫さまの切迫した雰囲気の理由、、、こ、、、これか。。
マンション建設反対の署名活動もしていたみたいだけど、昨年の夏で一度締め切られています。
まだ工事に着手はされていないものの2019年には完成予定とし、不動産会社である(株)創建は、署名も受け取り拒否されているような状況のようです。
http://www.k-skn.com/


ところで、わたしがホツマツタヱに興味を持ったのは、「アナスタシア」を読んでから。
この本のなかでロシアの「ドルメン」という古代の叡智ある存在が宿っている遺跡のようなのがあるのだけど、現代ではどうでもいいように扱われていて、でも、そこに人々が訪れることでその存在は喜び、訪れるものに叡智を分かつ、ということを著者が書いた数年後、もうそこは道も綺麗に整備され、観光化もされるほどの人気になっているとか。。。
最初、そのロシアのドルメンに行ってみたいと思ってたけど、沖縄の御嶽とか、磐座に近そうだな・・・とか、日本にもそういうものはありそう、と古代の日本のことを調べていくと、ホツマツタヱにあたったわけです。そして、この流れ。。。

磐座の鎮座する土地はすでに購入されており、磐座には近づけそうもないし、わたしが行って何がどうなるものでもない気もしてるけど、、、訪れてほしい、と言われた手前、行かないわけにはいきません。


というわけでひとまず、行ってみようと思います。
つづきはまたその後で。