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魔法の勉強ノート

魔法の研究・実践を記録している勉強ノートです。おもに植物とことばを使った魔法を研究しています。

越木岩物語3 沈む夕陽とニテコ池 

※このお話は、大変現実と相似したファンタジーであり、フィクションです。

前回のつづきより。

それまで、神社の参拝者は私だけだったのが、そこで、3人の人が社務所の方に向かってやってきました。
本当は、マンション建設のことを聞きたかったのだけど、さすがに突然言い出しにくく、あとでゆっくり聞こうかなと思って、私は横方によけて、願い事を書いていました。
 
すると、3人のうちのひとりのおばさまが巫女さんに向かって言います。


「あのマンション建設で岩が壊されるっていうことですけど・・・・」


・・・!

わたしも「それ、私も聞きたかったんです」と、早速、話に入ります。

いまのところ、このサイトで公開されている以上の進展はなさそうで、西宮市も建設を許可しており、すぐにでも着工にかかれる状態とのこと。
ただ、下請けの建設会社さんが倒産されたり病気になったりみたいなことがあったみたいで、一応まだ建設自体は開始されていない様子とのこと。

質問したおばさまは、近くに住んでいるらしく、
「そんなんねぇー、、絶対壊さないほうがいいと思うけどねぇー、、」とお話されてました。

この日、神社で見かけた参拝者は、このお三方と、帰りに子連れのお母さん2人組くらいだったので、ひっそりとした神社なのかと思っていたら、お正月は長蛇の列ができる大人気の神社のようでした。

「その土地を買い戻すことはできないんですか?」
と聞いてみると、
「額が億単位でとても手がとどかないようです。」
「でも、売った時のお金もあるんですよね?それはどこいったんですかね。。。?」
「そうですねー、おそらくその頃とまた額が変わってると思いますし、その辺になってくると私どもでは把握しておらず。。」
ということでした。おそらく社殿の改修費などに使われたのかと思いますが、その辺りは宮司さんに聞いてみないことには分かりません。

と、おばさまが、
「そういえば、あそこのニテコ池ってあるでしょう?あの名前の由来ご存知ですか?」
と巫女さんに話しかけます。
「いえ、わからないです。」
というと、ちょっと調べてみます。と、奥のほうに行ってしまったので、おばさまは私に向かって話しかけます。
「あそこはね、恵比寿様を祀られている神社の壁をつくるときに、その池の土を使ったらしいのだけど、それがポロポロすぐ落ちるものだから、もっと練ってこい、練ってこい(ネッテコイ)=ニテコイってことであの名前になったそうですよ。」
戻ってきた巫女さんも「そうですね、そう書いてあります。あと、ニテコは「森林の水たまり」という意味もあるようですね。グーグルで調べただけですが・・・。」
と、そんな会話をし、おばさまたちは去って行かれました。

・・・え?なんですか。。。?
前回の温泉でのおばさま同様、この流れはなんだかちょっと不自然です。

なんで突然ここでこの話を持ち出すのか。。。

「練ってこい。」

とりあえず、今日はもういいから、もっと作戦を練ってこい。ってこと。。。?
でも、早く来てというから来たら、もうOKと言われ、今度は作戦を練ってこい、って、それはないでしょう。。。その可能性は考えたくないと思い、

「ニテコ池の方をたずねろ」

ということかな、、、と思いつつ、グーグルで調べてみますと、ニテコ池はちょっと離れており、歩いていくのは難しそうです。
Joshも今度行きたいと言っていたから、また今度行ってみようと思い、神社をあとにしました。

ひとまず、署名はまだ受けつけているということだったので、署名はして帰りました。
みなさんも、よろしければ、どうぞこちらから。


嘆願書の内容は、
「私どもはマンションの建設に反対するものではありません。あの磐座を残せる設計にしてほしい」ということです。と、書かれていますが、それさえ受け取り拒否されているのは、ただならぬ理由があるのでしょうか。。


東回りに神社の外をまわっていくと、学校跡地であるマンション建設予定地が見えました。
柵があり、どこからも入れないようになっています。

 

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※壊される予定となっている北の磐座

 

これを見るだけで、何もできない私。。。
せめて・・・と、途中で拾った葉っぱをさしてきました。

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行きも帰りもインスピレーションが浮かんでいた「5」つに分かれていて、魔除けの力のある朱い葉っぱ。

その後、せっかくだし、レイラインと言われている、神社の上の公園内にある3つの磐座もみにいってみようと思い、公園に入りました。


「これを『公園』と表記しないでほしい・・・」と、あとで思ったほど、そこは森のようでした。

西の方に「休憩所」「植物園」があるはずで、そこをめざしていたのだけど、一向に見えてこず、木々が茂る山道を息切れしながら、登り続けます。

 

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※こんな感じに、草をかき分けながら、ひたすら登る山道・・・。


30分ほど登山したところで、ようやく建物がみえ、ここかな。。。?と思ったら、展望台でした。。
展望なんか望んでないー!と思いつつ、かなり汗ばんできていたので、休憩することにしました。
時間は4時。昼の日差しは穏やかになり、夕焼けと共に暮れていく街の景色が綺麗でした。

 

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「この、夕焼けの美しさを愛でる感覚を思い出させること」

そんなメッセージが浮かびます。
そして、ジョアンナ・メイシーの「夕焼けも美しい」という言葉を思い出します。

「ある韓国の僧侶が言った「日の出だけでなく、夕焼けも美しい」と。もし人類が絶滅するとしても、 ショックや恐怖に陥らないように、高貴に、寛大さと美しさを持って死にゆくことができる。」

キラキラと光りをあててくれていた太陽が沈んでいく。
青々としていた木の葉が散っていく。
真っ暗な夜、冷たい冬が来ることを知りながら、その流れに抗わず、沈んでいくこと、落ちていくことを美しく受け入れること、それは日本人であるならば、こころの内に知り得ている感覚。

文明の転換期、滅びていくもの、失われるものは、当然あるだろう。一時の栄華をいつまでも持ち続けたいと思うことこそ執着。されど、落ちていくことが分かる感覚というのは、なかなか受け入れがたいものである。
突然、病気で余命数ヶ月の宣告を受けるような、そんな感覚。
そこでいかに美しく散っていくか、それはもう、その和と美のこころを持つしかないのだ。


結局、1時間の森林ウォークの末、この公園内にも3つあると言われていた磐座をひとつも見れないまま、あっけなく、道路の歩道にでてきて、そこからバスで有馬温泉へ。

と、思ったら、スマホで有馬温泉を調べているうちに、予定時刻に来たバスに乗ったら間違ってたみたいで、、、次のバスは1時間後。帰ろうかなとも思ったけど、汗が冷えてきて、風邪ひきそうだったし、せっかく教えてもらったのだからと、タクシーでいきました。(で、三千円弱かかってしまった・・・。)

全然スケールは違うけど、ツ(尽きる、西)、アキ(空き、飽き)とは、おそらく、こういう心境のこと。
目的を持って山を登った結果何も得られずに、さらに、ちょっとした注意のなさから、本来は差し出す必要のなかったものを差し出すことになり、なんだか、からっぽでこころもとないこの心境。

たとえば、問題のマンション業者さんだって、何億の土地を購入できるようになるには、ながきに渡り大変な仕事をしてきたはずで、一生懸命働いて、その先に得た土地に結局、何も建てられず、足止めをくらっているというのは、それはそれで痛手なはず。抗議する側は損害を受けることはないのだから、
「磐座を壊さないで欲しい」と言ってくる人を敵対する気持ちも分からないでもない。

実際は、神社の方たちの嘆願書には「マンションを建てるなとは言いません。ただ、当初の磐座を保持する設計にする、ということをまもっていただきたいだけです。」と書かれた署名を、受け取り拒否していたり、HPで自己正当化のための虚偽の文章を載せていたりもするようなので、よっぽど暗い闇をお抱えとお見受けしますが、、、最近は、そうやって、私が善悪でだれかれを分け、制裁を下すような思考をしていると、ストップがかかります。

過去に、誰かが何か過失を犯したのでは、とあら探しをしたり、これこれが悪いから裁判で白黒つけよう、とか考え出すと、そういったこと自体に暗く重いエネルギーがつきまとう。真実(ほんとう)のことは、決してそのようには進まない。と。

 

「そのとおり、わたしたちは、そのようなエネルギーの使いかたはしない。もっと、ポジティブな皆にやすい(やさしい)方法でうごかす。
だれでも、何が最善かが分かればそのように動く、という言葉を最近聞いたでしょう。本当のことが見えなければ、そのように振る舞うしかない。
声を聞けない、手を放せない彼らをかわいそうに思ってあげて。
正しさ、正義ではないところで、物事を調和させていく、それが女性性(母性、陰)のエネルギーであり、和のみち。」

そんな話をしながら、なんとか辿り着いた温泉は、天然、掛け流し、露天、のキーワードのなかで選んだ「はなのむすび」というところ。母音にすれば、「ああおううい」。わか(ああ)との(お)くくり(ううい)のあとだったので、縁を感じて。

お風呂では、公園を歩いているときよりスッといろいろなことが入ってきました。

しつこくも、「本当に今日はこれで終わりなんでしょうか。。。?」と聞くと、やはりどうやっても「これで万事OK」という感じの返答しか返って来ません。

「答えを進めたがる気持ちは分かるけれど、美しき変化はゆるやかに行われるものです。自然界をご覧なさい。これからひとつずつ、みちが開かれます。焦って答えを探すことは、すでにみちをはずすようなこと。わたしたちは、そのように、ことはおこさない。
あなたはこのゲームや謎解きのプロセスを楽しんでいるでしょう?いま、すべての答えを教えたら、ゲームの攻略本、物語の結末をあっけなく教えてしまうようなもの。それではつまらない。
わたし(たち)は、あなたが、このプロセスを楽しみながら、ものごとが進むようにしている。
ひとつ言うならば、先日やったように、このプロセスをブログで記していくこと。」

ということでした。

他にも色々なことを教えてもらいました。

どうして、温泉だとよく話が通じるようになるのか。と聞くと、

「温泉は、現代の世の中では失われている古代の大地から湧き出づる、清浄で力強い火と水のエネルギーをまとっている。そのエネルギーのなかに包まれることで、身体が清浄さに包まれチャンネルが合いやすくなる。」

と言われました。なるほど。温泉以外でも、そういう効果を起こせるものは何かありますか?

「家のなかに小さくてもいいので祭壇をつくること。知っているでしょう?
火、土、水、風を象徴する物を祀った祭壇。いまのあなたなら、この4つに空の要素も加えるでしょうね。」

それと、あの磐座の意味も聞いてみました。ら、
次なる時代に、北からくる強すぎる陽性のエネルギーが流れこむのを防いでいる。とか。

「磐座を破壊すると、5つの元素の力を守っているこの神社のエネルギーがバランスを欠いた状態になる。

すでに壊されようとしている3つの磐座のある土地の木々が失われた時点で、多くの清浄で調和をとりなすエネルギーが失われている。
あなたは、先日大地の再生講座の講義を聞いたばかりだから、分かるでしょうが、樹木は、大気中のエネルギーを地中におろすと共に、地中の水や火、土のバランスを整えてくれている。その多くが突然的に失われたならば、自然界のバランスが崩れ、それにより、自然災害はこの地球における原因と結果の法則から、おこるべくしておこる。
今日、展望台からみたように、この一体は海辺に街が栄えているが、その多くが浸水するようなこともあり得る。」

 

・・・・・・。

わたしは、あまり終焉論や地球の危機を煽るようなことは好きではありません。そういう想像をすると、そうなる可能性に力を与えることになるように思えるから、というのと、恐れによって人を動かすというのは、ネガティブに感じるからです。でも、この存在は、煽るわけではなく、ただ、起こる現象の話をしているように思われました。

「あまり、そういう話は好きじゃないのですが・・・そういったことが起きないようにするにはどうすればいいのですか?」

「それは、あなたが先日感じたのと同じです。破壊的で支配的な思考を保持する人々の意識が変わらなければ、それに沿った現実が導かれる。意識に変化が起こると、現実にも変化が起こる。それだけなのです。目に見えないもの、聞こえないけれども存在するもの、こと、を軽んじず、直感を大切にしていたならば、地球の変動により現在の人間から見て、災害と思える現象が起きる時も、その人たちは、何かを予感し、その前に移動を始める。


「それは、分かりますが、、、現代では仕事の責任などで直感のままに行動できない人は多くいるはずです。そうして災害に合う人たちのなかには、幼い子どもたちも含まれるととてもつらい気持ちになります。」

「この地球に生きる者として当然の感情だと思いますが、その域を越えた視点を持たなければ、これらの仕事は果たせません。この3次元の世界観にとどまっていると、それは悲しい世界にうつるでしょう。けれども、死は、魂レベルで考えれば、そんなに悲しみ嘆くものではないのです。死によって、その魂は、新しく生まれ変わることができる機会を与えられるのです。人の生命とは決して失われてしまうものではありません。」

自然農、川口由一さんの言葉を思い出します。川口さんは、漢方にも精通してらっしゃって、診断をするとき、「かわいそう」とか思ってしまうと、絶対にダメだと言っていました。そういった私的な感情が入ると、症状を見極めれなくなる、善悪のある相対の世界ではなく、絶対の世界から物事を見なければならない。と。

わたしは、個人的に、そういう絶対の視点から世界を見られるようになる経験を、あるワークを通して何度かしていて、でも、それというのは、この現実界で長く保持するのがなかなか難しい感覚でもあります。
すべてのものごとは、完全に運ばれていて、どんな悲しく思えることも、醜いことさえも、愛の違った表現でしかない、一片の狂いもなく全てが完璧におこっていて、美しく、なんとありがたい世界なんだ。。。というあの感覚から、たいてい3日もすれば、「もー、なんでこうなるのー!」という感覚に戻ってしまいます。。(・・;)

あの感覚をどうやったら保つことができ、皆も見れるようになるのか。。。
いろいろと思いがめぐります。
 
ひとつ、書いておいてなんですが、この、磐座を破壊すると、西宮の街は災害の被害を被るというようなことは、深刻に受け止めず、そんな想像はしないでいただきたいと思ってます。
わたし自身それを不安に感じないほど、現実的な予言めいた感じではなかったし、どちらかというと、意識のうえで日本の人々が西欧的な意識・感覚に飲み込まれていくのを防ぐことが大切、といったニュアンスでした。
この辺りのことは、もう少し他のこととも色々結びついているので、また追々書いていこうと思いますが、簡単に言うと、たとえば、災害の時もきちんと一列に並んで物資の救援を待ったり、その言語からして個人の主張が強い西欧と違って、日本は主語なしにも成り立つ稀有な文法のことばをもつ国。そういった自他の別とつけすぎない和の心がこれから大切になっていくなか、日本に生まれ育った人々が、そのこころを保つというのが大事なことのようです。


今回の訪問は、これで終わりましたが、この後帰ってから、言われたとおり、毎日、確実に一歩ずつ、驚くべき進展がありました。

本当に、毎日進むので、全然書くペースが追いつきませんが、、、詳しくは、また次回。

 

※他にも、この磐座のことと関係あるのか、ないのか、色々と受け取ったイメージや浮かんだインスピレーションはあるのだけれど、それもまた、断片的に記していこうと思います。